2014年8月28日木曜日

刑法における責任主義

司法書士の岡川です。

近代刑法の基本原則のひとつに「責任主義の原則」というものがあります。
これは、「責任なければ刑罰なし」と表現されるように、行為者に責任を問えない行為は罰することができないという原則です。

ここで「責任」とは何か、というのは非常に難しい問題なので、またの機会に譲るとして、とりあえずは「非難できること」を意味すると理解してください。
そして、行為者を(刑法上)非難できるのは、行為者に故意があるか、少なくとも過失があった場合に限られると考えられています。
すなわち、行為者自身(の意思決定)に対して非難できなければ処罰が正当化されないわけです。

どんなに結果が重大であっても、「結果責任」や「連帯責任」は近代刑法においては許されないということになります。

これは、「故意犯処罰の原則」にも共通することです。
故意犯処罰の例外として過失犯がありますが、無過失犯処罰まで許す例外は存在しないのです。

「少なくとも過失」が必要とされるのには、色々な説明の方法があります。
たとえば、刑法の機能を犯罪予防に求めるとすれば、自分の意思決定の及ばないところの行為によって罰されるというルールがあったとしても、それには何ら犯罪予防の効果が無く、不合理であるということができます。


何らかの人の行為が原因となって重大な権利利益の侵害が生じることは日常茶飯事、その中には、行為者(加害者)自身には、故意も過失もない場合というのも少なくありません。

被害者側からすれば、「その人の行為によって結果が引き起こされた」というだけで非難に値するでしょう。
ところが他方で、加害者側からみれば、「確かに自分の行為によって生じた結果だが、自分にはどうしようもなかった」のであれば、それで非難されるのは納得できないでしょう。

民事上は、過失責任を原則としつつ、無過失責任を一部認めてバランスをとっていますが、刑事上は責任主義が貫かれ、無過失責任は認められていません。


我々は、ともすれば「結果の重大性」に目を向けがちですが、社会の秩序はこういう微妙な利益調整によって成り立っているのです。
そして、それによって自分の身も守られている(すなわち「自分にはどうしようもない事故の責任をとって処罰される」ということがない)ということを考えれば、少しは納得もできるかもしれません。


では、今日はこの辺で。

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