2013年10月3日木曜日

内閣総理大臣の「遷御の儀」参列の可否

司法書士の岡川です。

昨夜、伊勢神宮において、御神体を新宮に遷す「遷御の儀」が執り行われました。
20年に1度の式年遷宮のクライマックスです。
暗くてよく見えませんが、テレビでも映像が出ていました。
今年は絶対に伊勢神宮にお参りに行こうと思っています。
思っていますが、まだ行けていません。
ちなみに、出雲大社のほうも今年は遷宮の年でしたが、こちらは既に行きました(→「出雲大社」)。

さて、このまま神社とか神道とか神話とかの話を続けてもいいのですが、法律っぽい話をしましょう。
「遷御の儀」に安倍総理大臣が参列したというニュースを見て「絶対に批判する人が出てくるだろうな」と思っていましたところ、やはり出てきました。

「戦前回帰」「日本の文化」 遷御の儀に84年ぶり首相(朝日新聞)

日本キリスト教協議会の靖国神社問題委員長、坂内宗男さん(79)は「憲法に定められた政教分離の原則に反する行為だ。非常に深刻に受け止めている」と強い調子で批判した。
(中略)
首相の正月参拝は定着しているが、戦後3回あった式年遷宮に首相が参列した例はなく、前回は官房長官らの参列にとどまっていた。坂内さんは「伊勢神宮の公的位置づけを強め、国民にそういう意識を広める狙いがあるのでは」と危機感を募らせる。


「戦前回帰」の意味が分かりませんし、「伊勢神宮の公的位置づけを強め」という批判も根拠がありません。
朝日新聞の記者は、何を思ってこのコメントをとってきたのか分かりませんが、何でもかんでも批判すりゃいいってものではないでしょう。

伊勢神宮は、今年だけで1300万人の参拝が見込まれる日本文化に根差した神社であり、首相だけが参拝してはいけない理由とは何でしょうか。

これが問題になるのは、日本国憲法には、「政教分離の原則」が規定されているからです。
政教分離は、例えば刑法における「遡及処罰の禁止」のように、近代的な法体制の下では一般的に妥当するような普遍的な原則ではなく、各国の法制度、政治体制によって異なります。
現代においても祭政一致という政治体制もありますし、政教分離の原則が採用されている国であっても、緩やかな分離にとどまるところあります。
一口に政教分離といっても、必ずしも、「およそ公的なものと宗教的なものが何らかの接点があってはならない」というような、厳格な分離(完全隔離)を要求するものではないのです。

例えば、イギリスなんかは国教会というものがありますし、アメリカでは、大統領が就任するとき聖書に手を当てて宣誓しますね。
ドイツ連邦共和国基本法(ドイツでは憲法といわず、「基本法」といいます)では、前文でいきなり「神(Gott)」と出てきますし、公立学校での宗教教育についても規定されています。
つまり、「政教分離の原則がどこまで求めているか」は、各国の憲法を中心とする法制度に委ねられます。

そうすると、万国共通の政教分離の原則が存在しない以上、日本において「政教分離の原則に反するか」という問題は、専ら日本国憲法の解釈に委ねられます。

その日本国憲法では、政教分離の原則は次のような規定が存在します。
「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」(20条1項後段)
「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」(20条3項)
「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。」(89条)

まず、安倍首相が参拝したからといって、伊勢神宮は何らかの特権を受けたわけではありませんね。
それから、おそらく公金は支出されていないでしょうから、89条違反の問題も生じていないはずです。
となれば、20条3項の問題となるわけです。
なお、前提として、内閣総理大臣というのは、国の行政機関ですので「国及びその機関」に該当します。
そして「宗教教育」は関係ないので、「宗教的活動」の問題です。

伊勢神宮の儀式は宗教行為に違いないですが、問題はそこではなくて、そもそも「国の機関が」宗教的活動を行ったかという点が問題です。
靖国の公式参拝についてよく問題となりますが、「内閣総理大臣が『私人として』の参拝する」ことが認められるかという問題ですね。
この点、確かに安倍晋三さんは、国の機関である内閣総理大臣ではありますが、人格や存在そのものが常に国の機関であるわけではありません。
安倍晋三さんがカレーを食べても「国の機関がカレーを食べた」ことにはならないし、安倍晋三さんがトイレに行ったからといって「国の機関が排泄した」わけではありません。
これらはあくまでも、安倍晋三さんという一人の人間が行った活動にすぎません。

同じように、宗教的活動への参加についても、「安倍晋三さんという一人の人間が参加する」ことを観念することは十分可能でしょう。
例えば、安倍晋三さんの親族が亡くなったときに安倍晋三さんが葬儀に参列することもあるでしょうし、安倍晋三さんがご先祖の墓にお参りに行ったりすることもあるでしょう。
これらは、国の機関である内閣総理大臣という肩書を持った安倍晋三さんが行ったとしても、「国の機関が安倍家の先祖にお参りした」ということにはならないと考えられます。
クリスチャンの大臣(麻生財務大臣がそうでしたね。確か)であれば日曜礼拝に行ってもいいし、仮にムスリムの大臣がいれば、定刻になればメッカの方向へ向いて礼拝しても問題がない。
大臣になったら、地元の神社に初詣に行って自分のお金を賽銭箱に投げ入れてはいけないなんていう馬鹿な解釈はありえません。

となると、安倍晋三さんが伊勢神宮に行っちゃダメな理由は無いでしょう。

もちろん、公費を支出したり「職務として参列」したりすれば、それはもう安倍晋三さん個人の行為ではなくて国の機関の行為ではないか、という問題が起こってきます。
そのときはまた、国の機関による宗教的活動はどこまで許されるのかという問題になるでしょう(このときに基準となるのが、いわゆる「目的効果基準」というやつですね)。

ただ、今回の遷御の儀については、菅官房長官が私人としての参列だと会見で述べています。
公費の支出は無かったのでしょう。
それでいいと思います。

そもそも今までも多くの閣僚が毎年正月に伊勢神宮に参拝されているわけです。
そうすると、「内閣総理大臣は伊勢神宮の『遷御の儀』にだけは参加してはいけない」という批判になろうかと思いますが…一見しておかしいこと言ってますよね。

靖国神社については、政治的な背景がいろいろあるので(「私人としても参拝すべきでない」とか逆に「むしろ公人として参拝すべき」との意見も含む)、少し複雑な問題が絡んできますけども、特段の事情(例えば、公費で寄付が行われたとか)でもない限り、内閣総理大臣が伊勢神宮のお祭りに参列したというだけの話で、「政教分離の原則に違反する」なんて騒ぐものではないと思います。

では、今日はこの辺で。

2 件のコメント:

  1. 式年遷宮は、無形文化保護の名目でこっそりと補助金が出されているのはあまり知られていない。建て替え費用として直接的に補助を出していないだけ。

    返信削除
  2. >匿名さん
    国の補助金というのは、たいていの場合、世間からみれば「こっそり」にみえるものですね。

    返信削除